タワーレコード新宿店に掲示された坂本龍一のポスター(2023年4月3日、写真:AP/アフロ)

(平井 敏晴:韓国・漢陽女子大学助教授)

 こんな喪失感は初めて味わったような気がする。私にとって坂本龍一とは、水や空気のようなものだ。がんにより長い闘病生活を強いられていると伝えられていたから、その時がそう遠くないというのはわかってはいた。とはいえ、いざそうなってしまうと何とも言えない気持ちになった。

 それは悲しいというようなものではない。「ない」と困ってしまうのだ。その「ない」が現実となり、途方に暮れているというのが正しい。

 というのも、たしかに坂本龍一の音楽は残っているけれども、私は彼と同じ時代を生きながら、その音楽と言葉に耳を傾け、時にふと立ち止まっていろいろ考えさせられてきたからだ。

 音楽にしても、あるものには共感し、あるものには違和感を感じた。主義主張についてもそうだった。でも、違和感を感じたにせよ、彼の音楽と主張には説得力があった。だから、自分の考えをふと省察する機会を与えてくれた。そんな機会はもう失われてしまったのではないか。そんな気がする。