文=酒井政人

2022年1月3日、第99回箱根駅伝、復路の戸塚中継所、力走する木本大地(東洋大) 写真=日刊スポーツ/アフロ

とにかく苦しい2日間

 今年もドラマが満載だった箱根駅伝。トップスリーを目指した東洋大は、酒井俊幸監督が「とにかく苦しい2日間でした」と表現するほど厳しい戦いを強いられていた。

 エース松山和希(3年)が登録から外れて、出場予定だった九嶋恵舜(3年)と熊崎貴哉(3年)も戦線離脱。「12月に入ってから、コロナ、インフルエンザ、それから疲労骨折者も出て、チグハグしたオーダーになってしまった」(酒井監督)のだ。

 そのなかで奮起したのが7年間に及ぶチームメイトである前田義弘と木本大地の4年生コンビだった。

 

鉄紺への憧れと不甲斐なさ

 今季、主将としてチームを引っ張ってきた前田は、「出雲(9位)と全日本(8位)は自分たちと戦っていた部分がありました。走りっぷりが悪いというか、一人ひとりがもう少し突っ込まないといけなかった。鉄紺の走りを追求しないと、箱根では通用しません。闘争心を持って(上位校に)立ち向かいたい」と口にしていた。

 前田は2015年の全日本大学駅伝で初優勝した東洋大のレースに目を奪われて、鉄紺に憧れを抱いたという。

「1秒をけずりだす走りを観て、中学生ながら心を打たれました。僕もこんな走りがしたいと思ったんです」

 東洋大のユニフォームを着て箱根駅伝で活躍するという目標を持った前田は、付属校である東洋大牛久高に入学。そこで出会ったのが木本だった。前田は3年時に5000mでインターハイに出場するなどエースに成長。一方、木本は故障に苦しんだ。

 ただ3年時の茨城県高校駅伝は前田が誤算だった。直前に脚を痛めた影響もあり、1区で水城高に30秒差をつけられたのだ。4区木本が区間賞で反撃するも、全国高校駅伝の舞台に25秒届かなかった。

 ふたりは東洋大に入学。前田は1年時の全日本から学生駅伝にフル参戦するなど、主力として活躍した。木本は2年時までは故障が多く、大学在学中に疲労骨折を8回ほど繰り返した。

 木本が前田と同じ練習ができるようになったのは大学3年時からで、「前田がいるから頑張ろう」という気持ちが強かったという。

 ふたりがそろって初出場した学生駅伝が前回の箱根だった。4区に出場した木本は区間18位と失速。6人にかわされ、落ち込んでいた。しかし、「お前の分も俺が(貯金を)作るから」と誓った前田が9区で区間5位の激走。順位を2つ上げて挽回している。

 今季5月の関東インカレはハーフマラソンにそろって出場した。梅崎蓮(2年)が2位に食い込むと、木本が5位、前田が8位に入り、東洋大はトリプル入賞を達成。木本は試合で初めて前田に先着した。

 主力選手になった木本だが、出雲と全日本は故障もあり、欠場した。しかし、最後の箱根駅伝でふたりがチームの窮地を救うことになる。