写真・文=橋口麻紀

1291年に建てられたバロック建築の傑作と言われている宮殿パラッツオ デュカーレ ディ モデナ

 モデナ在住の筆者が綴る“イタリアの現在”。1年ぶりの寄稿には、どんなことがあっても変わらないイタリア人の誇りが見られた。

イタリアの秋は変化の秋

 本格的な秋を日増しに感じる、イタリアです。エミリア・ロマーニャ州に位置する小都市モデナも、街行く人はダウンを纏う季節になりました。

 今年のイタリアの秋は、いろいろなことが変わった秋でもあります。まずは政治です。10月に総選挙が行われ、極右政党が勝利し、その極右政党「イタリアの同胞」を率いるジョルジャ・メローニ党首がイタリア初の女性首相に就任しました。第2次世界大戦後のイタリアで最も右派に傾斜した連立政権を樹立と、欧州3位の経済規模の国が右傾化になってしまうのではないか、まわりの欧州国は危惧をしているようです。     

 11月より、その新たな政権がスタートしたイタリア。目に見える変化の一つとして、まずは日々移民についてのニュースを目にすることです。新政権では反移民を掲げているので、現実的に移民が乗船しているボートを着岸させなくなり始めていて、そのニュースが連日なのです。日本人の私も以前は移民問題については遠い話しとして受け止めていましたが、イタリアに住み始めて、改めて考えるようになりました。これは、一国だけの問題ではないのは、言うまでもありません。

 そして、コロナの新規感染者数のニュースはなくなり、また、個人事業主の税率の変更や低所得者へのサポート内容の変更など、実際に新政権の運営がイタリア国民にどのように影響してくるのか、それぞれが見守っているイタリアの今です。

 現実的な問題としては、なんといってもイタリア人のこの秋の関心事がガス代の高騰です。ロシアからの燃料に60%を頼っていたイタリア。光熱費全般で、昨年対比60%アップ。どこに行っても、散歩をしながらでも、耳をそばだてると燃料費のはなしばかりなのです。もちろん、燃料費の高騰での様々な影響はイタリアに限ったトピックではないのですが。

 そんなイタリアですが、クリスマスシーズンのはじまりで街はイルミネーションの準備もすすみ、クリスマスを心待ちにする笑顔もある11月のイタリアです。

モデナはクルマの街であり、フェラーリの街

 他の欧州諸国同様に、完全に日常を取り戻しているイタリア。ここモデナにも、毎日多くの観光客が足を運んでいます。マスクフリーとなって早数か月。マスクを必要としていたころが、遠い昔に感じられます。厳しい話が多いイタリアですが、そこは基本人生を謳歌する国。日常に戻ったと同時に、楽しいイベントも再開です。

 ここモデナでは実は多くのイベントも開催されていました。特にクルマのイベントはモデナの風物詩であり、訪れているひとたちもクルマ愛好者が多く、改めてモデナがクルマの街だったと感じ入りました。モーターバレーやクラシックカーのイベントも今年は再開され、多くのヴィンテージカーが街を彩りました。

 そしてとても興味深かったのは、エンツォ・フェラーリの映画がここモデナで撮影をしていたことです。

 それもそのはず、モデナがクルマの街と称される大きな要因のひとつは、フェラーリの創設者であるエンツォ・フェラーリの生誕の地であるからです。街には彼の名を冠した、パルコ・フェラーリ(フェラーリ公園)や美術館。そして、彼が足繁く通っていたカフェや理髪店には彼の写真やフェラーリのフラッグやミニカーが今でも飾られ、彼が他界して34年が経って今もなおこの地で愛され続けているのです。

 思わず私もこの秋は、パパラッチのように撮影現場を追いかけ、クラシックカーを見つけては写真に収めるという、近年自分のライフスタイルにはない愉快な数週間を過ごしました。

映画『エンツォ・フェラーリ』の撮影風景(モデナ市街)

 イタリア人にとって世代を超えて誇れるもの

 撮影も無事に終わり、クルーが街からいなくなり、個人的には少し寂しさがあったとある日。ミオ・マリート(私の夫)から、街の中心でフェラーリをお披露目するとの情報が舞い込んできたのです。フェラーリ本社はモデナからほど近いマラネッロにあるのですが、本社の全世界会議がモデナ市街にある、パラッツオ デュカーレ ディ モデナで開催されるタイミングで、フェラーリが集合すると。

 なんとも贅沢な企画です。社の会議ついでに、フェラーリを通りすがりの方々にお披露目するという大胆であり、イタリアらしい企画です。

ロッソ(赤)のフェラーリはまるでアートのよう

 撮影パパラッチが終わり、寂しさを感じていた私がフェラーリを見に行ったのは、言うまでもありません。そして、早速美しい“跳ね馬”に会いに行ったのですが、なんと驚くことに世界のクルマ愛好者が今一番注目している、9月に発表したばかりのフェラーリ初のSUV『プロサングエ』が展示されていたのです。もちろん、数々のフェラーリも威風堂々と並んでおり、1291年に建てられたバロック建築の傑作と言われている宮殿パラッツオ デュカーレ ディ モデナと相まって、まさに圧巻でした。

フェラーリ初のSUV『プロサングエ』

 フェラーリ社の会議の一環ということで、もちろん事前情報もありません。その場を通りすがったひとたちは、なぜにここにフェラーリが一堂に会しているのかと不思議そうなのですが、それよりもフェラーリが近くで見れるということで、大興奮。最新モデルも含めフェラーリが数台並んでいるにもかかわらず、数人のガードがいるだけという、まさにまじかでフェラーリを観れる好機だったのです。日本であれば、ロープが張られ遠くから拝むことしかできないだろうなと、一人微笑んでいた私です。

 突然のフェラーリとの遭遇に、あるひとはスマートフォンを片手に家族と興奮気味にビデオ通話を、また大学生と思われる数人の男子はフェラーリの前でポーズを決めて写真を撮ったり。もちろん、子供たちは大興奮です。

 フェラーリの美しさにも驚いたのですが、それを見ている人たちのフェラーリに対する熱量にも驚かされました。そして、世界的にクルマ離れがささやかれているZ世代でさえも興奮している姿を見て、なぜにここまでにフェラーリはイタリア人を魅了するのかと、改めて疑問を抱いたのです。

フェラーリを囲む学生たち

 そして、ミオ・マリートに尋ねてみました。「イタリア人にとってのフェラーリとは?」と。すると「フェラーリはイタリア人にとってのプライド」という一言がかえってきたのです。

 その言葉を耳にして、まさに彼らの笑顔や大興奮な様子とこの「プライド」が私の頭のなかで、一致したことはいうまでもありません。クルマ愛好者やクルマを運転するひとたちだけではなく、イタリア人にとっては「フェラーリ」は単なるクルマではなく、自分たちの国が誇るひとつの象徴なのでしょう。

 様々なことが変化するイタリアですが、世代を超えてそのプライドが受け継がれているのがフェラーリなのだと、改めて感じいりました。そして、日本人が誇れるものはなんだろう、とも。

  来年公開されるという、エンツォ・フェラーリの映画はイタリア人のみならず、世界のフェラーリファンが心待ちにしていることでしょう。私の愉しみは、映画でモデナがどのように描かれているかということ。そして、この映画に対するイタリア人の反応も愉しみのひとつになりました。